pax1182のブログ

乳がんの記録

痛み

乳がんの手術のあとが 痛くて 半年経っても 腹部も痛む。


この痛みに「意味」があるとしたら、


神様が意味を持って一緒に歩んでくださるとしたら、、、


私は痛みを我慢するので 天国に上がりたい魂を天国にあげてください、と祈ろう。








ピエトレルチーナの聖ピオ神父


聖ピオは、1887年5月25日に、イタリアのベネベント州にあるピエトレルチーナに生まれました。


1903年、16歳のときに、彼はカプチン・フランシスコ会に入会し、このときから、「ピオ」という名前で呼ばれるようになります。



1918年9月20日、ピオ神父の手と足、そして脇腹に傷が現れます。ピオ神父を多くの医者が診察しましたが、だれも医学的にこの傷を説明することはできず、治療することもできませんでした。キリストの「聖痕」を受けたと騒ぎ立てる人々が増えていく一方で、疑う人々も多く、教会当局の「調査」が進められ、さまざまな憶測、誹謗、中傷が飛び交いました。そのため、ピオ神父は数年間にわたって聖職執行の停止を言い渡されたこともありました。しかし、ピオ神父は教会に対する全面的な従順を表明し、すべての指示に従いました。この傷は、ピオ神父が亡くなるまで50年間にわたって、消えることはありませんでした。



自分に与えられる十字架に救いの価値を見いだすこと、確信をもってみずからこの十字架を担うこと、それは決してたやすいことではありません。まして、この十字架がずっと消えないとすれば、それを担い続けることは難しいでしょう。しかし、ピオ神父の生涯はまさにこの十字架を担い続ける歩みを示していると言えるでしょう。キリストの傷跡を死ぬまで絶えず受け入れ、そこから生じる痛み、人々の批判を謙虚に受け止めていくこと、このようにして人間の価値観にではなく、神の計画に従い続けること。ピオ神父の聖性は、聖痕を受けたこと自体にあるのではなく、それを神の計画として受け入れ、すべてを担い続けたということにあるのでしょう。わたしたちには、目に見える形での聖痕は与えられないかもしれません。しかし、それぞれに神の望みに従って十字架が与えられているはずです。ピオ神父の模範に倣いながら、わたしたちも自分の十字架を否定したり、そこから逃げたりするのではなく、この十字架に救いの価値を見いだし、確信をもってそれを担い続けていきたいと思います。


澤田豊成神父, ピオ神父

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