pax1182のブログ

乳がんの記録

療養35日目 神様からのプレゼント

今日は 日曜日だけど、ミサにも行かず、、、。動画のミサを探すでもなく、、、

いつもと変わらない1日。

・・・不良信者!

というと語弊があるかな?笑っ



ミサは 

「ありがたいお言葉を聞いて帰る場所」

 に留まらず、

祈りと 賛美と 受難と 十字架と 復活と 救いがある。

そこに、、すこしでも共に祈りたい。

救いのために祈りたい。

キリストの十字架を 独りにしたくない

って思って、何より優先してミサに預かってきた。



分かってる。

分かってるんだけど、、、いいかな?って、、、。祈れないんだよね、なんでかな?

こんな風に思うのは何年ぶりだろう。

長男が小さい頃 ミサの間 騒ぎだして ミサをお休みしてた頃以来かな?



中学のときも、青年になってからも、ミサの後 教会にいて、いつもみんなで遊んでて、、いつも笑いが耐えなくて、、、リーダーにも可愛がってもらって、

青年の頃は ちっちゃい子と遊んだり、、

同年代の仲間と時間も忘れてしゃべったり、、そしていつも笑ってた❗

端から見たら「無駄な時間の使い方!」って思うかもしれないけど、

いま、思い起こしてみると、あれはかけがえのない時間だった。

週末に会った家族みたいな、、、そんな感覚。

だから、神父様のお祝い、お別れ等で何十年ぶりに会っても、すぅっと あの頃に戻れる。

あの頃は ミサと 遊びと 奉仕が一緒だったなぁ。

車椅子を押すこと、付き添うことを奉仕だと思ってやっていなかった。

「友達」が車椅子だから、一緒にいた。

何かしてあげられれば 私も happy それだけ。どこでも 笑顔が溢れてた。

(「友達」 というにはずいぶん、、、親くらいの年齢の方々でしたけど)



教会で、仲間が集まって、

教会に行くと、待っていてくれる仲間がいるって

幸せなことだ。

懐かしく思う。





私達は神父様から そして仲間からたくさんの愛情を受けて共に育ち 

それを当たり前に受けていたけれど


それは 素晴らしい神様からのプレゼントだったんだと、

大人になってつくづく思う。

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