pax1182のブログ

乳がんの記録

 輪廻転生


2.タエの事例本編




数年前、テレビで放映された「退行催眠」の記録に出会った。

はじめは興味で見ていたが、、、

以前  私が苦しんでいたときに 心に浮かんだ言葉と一致してる!!と裏付けしてくれる番組だった。



上記YouTubeの要約は

「人間は死ぬと魂が抜けて上へ上へと上がっていく」

「そこで偉大な存在者にであって、『この人生が何であったか、(どんな生き方をしたか)』を問われる」

「残った課題について学ぶ為に 次に生まれ変わるときにその課題を克服できるような人生を偉大な存在者と決める」


人間は人生において苦しむことで魂を磨かれる。

人生とは魂を、清める為に生まれてくる。

魂が浄められると、天国に上がるときにどんどん透き通って 透明になるまで透き通ると「偉大な存在者の一部になる」


というものだ。



私は これを見たとき、、

やっと答えに行き着いた❗と思った。


この動画が 退行催眠の研究者で

カトリックに全然関係なかった、というのも良かった。



私はこの10年 辛かったときに

何年もかけて、言葉をもらった。

それは、心の中に私の知らない言葉が浮かんでくる、といった感じ。

男性っぽいとか 女性っぽい声というのもわかる。

この時は2回とも女性だった。


私が何年も苦しくて、辛くて、

「こんな苦しいこと、何の役に立つのか?」 

ずっと祈ってた。ずっと、怒ってた!


すると、声が言った。






「日常の生活のなかで 苦しみのない人は、人を救うことはできない。」







それからまた何年も何年も、苦しくて、辛くて、それがどう抜け出せるのか、全く分からなかった。

よくなるどころか、悪くなる一方じゃない!

と怒ってた!

日常は普通にこなしているようでも、心はぼろぼろで一歩も歩けないのを、引きずって歩いてる、そんな心境だった。

でも、この心の痛みも苦しみなかったら、

もしかしたら あんなにもキリストの十字架に寄り添えなかったかもしれない。

助けてください、って祈る必要もなかったかもしれない。

毎日 のほほんと、、食べて寝て、遊んでいたら、、、

それじゃ、絶対 聞こえない そんな声。そんな状況。


そんなとき、あのYouTubeに、であった。

これは、私の使命。

苦しみを捧げて、その分天国に上がりたい魂を、今日、いま、上げてください、と祈ること。


何年かして、、、、まだ、よく分かっていなかった私にもう一度 声があった。







「苦しみの意味を知っている人は幸いです。」







苦しみを、伴う祈りは強い。


だから、苦しいとき、私は祈る。

自分の為に じゃない。

いま、天国に上がりたい魂を、上げてあげてください。





この世の中で無駄に垂れ流しされているのは苦しみです。


救いを必要としている魂はたくさんいるのに、祈りも少ない。

「働き手が少ない」

と聖書に書いてある。


苦しみを 捧げて(我慢すること、怒りから手を離すこと) 祈る祈りは大きな力になる。







司馬遼太郎「世に棲む日々(4)」p151

に高杉晋作の言葉がある。


「生とは天の我れを労するなり。

死とは天のすなわち我を安ずるなり。」


晋作にとって、天がその生に目的をあたえ、その目的の為に労せしめるという過程であるに過ぎず、死とは、天が彼に休息を与えるというに過ぎない、ということであった。





「 天がその生に目的をあたえ 」


明治維新の前にも

同じことを考えてる人がたんだなぁ、




教会で、、本だったか、、覚えている言葉がある。


「人は亡くなって、天国に上がるとき、

問われることは1つ。

『あなたはこの人生で、人の為に何をしてきましたか?』ということ。

今の人生の 何一つ、細胞の1つも 天国には持って行けないのです。」

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