pax1182のブログ

乳がんの記録

祈り

https://youtu.be/LqgIVVsI_B8



カトリックのメディア宣教に「心のともしび」がある。


神父様が数年前に亡くなられて、最近は シリーズでいろいろな宣教者の方が講和をされている。



その中のシスター渡辺 和子氏の講和(全24回)に


「キリストの香り(2) 絶えず祈りなさい」


という講和があり、私はその話が好きだ。


好き、、、というより、


祈りというのはこういうものなんだ、とわかったことがある。



シスター渡辺が 修道会に入ったばかりの頃 アメリカ ボストンの修練院で修業していたころのお話。



130人ほどの修道女志願者と一緒に生活をしていた。


仕事は単純作業、黙々とこなしていたつもりだった。


単純作業ばかりの生活に疑問を持ち始めていた頃、、、



夕食の準備でお皿、スプーン、フォークを並べている際に いつの間にか修練長が後ろに来て


「あなたは何を考えて お皿を並べていますか?」


「別に なにも考えておりません。」


「(厳しい顔で)あなたは時間を無駄にしています。」


何故 言いつけられた仕事を おしゃべりせず、手早くこなしているのにそういわれるのかわからなかった。すると修練長が笑顔で


「同じお皿を並べるなら やがて夕食にお座りになるお一人お一人のために 祈りながら お皿を置いたらどうですか?」


と言われた。



仕事は すれば良いものだと思っていたが、


仕事は ただすればよいのではなく、心をこめて、愛を込めてするものだということを教わった。



ロボットでもする仕事をするのは 時間の無駄です。


時間の使い方は そのまま あなたの時間、人生の使い方になるんですよ。


と教わった。



世の中に 「雑用」はない。


私たちが用を「雑」にしたときに 「雑用」が生まれる。




また、ある時 庭の草取り作業をしていた時の事、いつの間にか修練長が後ろに来て


「あなた方の仕事を見ていると ただ草をむしっているだけだ。


草というものは 『根こそぎ』取らないとまた、すぐ、生えるんですよ。


今、世間に 非行少年 少女が たくさんいます。


その中には 改心したくてもできない


一度踏み込んでしまった足を抜きたくても抜くことができない


そういう 少年少女がいるんですよ。


貴女方が「その足が抜けますように」と祈りながら草を抜くとお仕事に意味ができてきます。」


と言われた。



「草むしり大変だ」とつまらない思いで草取りをしても


「非行少年少女の足が抜けますように」と祈りながら草取りをしても


同じ時間が経ち 同じように庭がきれいになります。



祈ったから 夕食に座られた方が 幸せになられたか わかりません。


祈ったから 非行少年少女が悪の道から足が抜けたか わかりません。



分からなくて良い、


何が変わったのか、


「私が 不機嫌で 仏頂面で つまらない、と思って過ごす時間が少なくなった。ということ。


意味のある時間を過ごすことができた。ということ。


時間の使い方は そのまま命の使い方。(人生そのもの)」



という講和だった。






数年して マザーテレサが来日された時に シスター渡辺は 通訳されました。


その時 マザーテレサに言葉をもらったそうです。






「祈りをとなえる人ではなく、祈る人になりなさい」


              マザーテレサ






写真を撮られるのが好きではなかったマザーテレサが シャッターがおりる度に笑顔だったそうです。



「私はね、フラッシュが一つたかれるたびに


『神様のみもとに 道端で亡くなろうとしている人が


その御手に抱きとられますように。


その分 神様、私は笑顔をしますから』


と約束してあるんですよ。」



と言われたそうです。









私が病気になって、


「祈ることしかできないけど」


と、たくさんの方に言葉をかけていただいた。


「祈ることしか」 ではなく、「祈りは 最強だよ!ありがとう」


と 感謝している。



全能で万物の作り主が 声を聴いてくださって


力を与えてくださる。


必要なものをお与えになる。 最強だよね。笑



そして どうか 苦しみを伴う祈りを 聞いてほしい。


今日も 天国に上がりたい魂を 天国で迎え入れてほしい。

×

非ログインユーザーとして返信する