pax1182のブログ

乳がんの記録

ミサと救い

イタリアの 聖ピオ神父様(聖痕を50年受けて 奇跡を起こしたと伝えられている)の本で


ミサの入祭の時に 神父様が動けなくなって たくさんの涙を流していたので


付添いの神父様が 促すと


「毎週のミサの中で キリストが 屠殺されているのです。」


と話したと本で読んだ。





私はそんなに本気でミサにあずかっていたかな?


もう少し、ゆる~く、「善い話(福音)」を毎週 聞きに行ってるだけじゃなかったかな?


と ミサへの見方が変わった。そして 考えた。



「キリストの十字架は1度きり」


そういう神父様の話も聞いたことがある。


でも毎週のミサで 十字架と復活があるなら 救いもあるはず。


だから 毎週 魂の救いのために祈る。




時々、受難と復活の祭儀の時に、


「こんな感じで魂が上がっていくのかな?」


とイメージできる時がある。(いつもではない)



祭壇の下に置かれた 献金のかご


その上に 黄色い花、マーガレットみたいな花が2輪 風に揺られているような、、感じがするときがある。


神様がそれを喜ばれているんだなぁ  って思っていた。





ある時、神父様のお話の中で


「奉納(パンとぶどう酒を祭壇に運ぶ)の時に献金も持ってくるでしょう?


あれは ただ お金を入れただけじゃない。


皆さんの1週間の心、苦しいことも つらいことも 嬉しいことも 神様にささげるんです。」


そう話された時、 目の前に 神様が来てる!って なぜか思って、、、、これは なんて説明したらよいか、、、、分からないなぁ。


その 「来てる!」って思った瞬間、心の中の自分が 左手で何かをつかんで(ホントの体は手を膝にのせて神父様の話を聞いている)


「この子、連れてって!」


と目の前の神様に差し出した。そして あわてて右手で 何かをつかんで


「あ、この子も!!」


と差し出した。


(ホントの自分は 何が何だか わからない)


あれは、 イメージ なのか 心の中のビジョンなのか、、、 いったいなんだったんだろう?


帰り道、 ずっと 考えていて、、、


ということは、私の両側に ユウレイがいたってことなのかな? 怖っ!


わたし、全然知らないけど?


そう思って帰ってきた。


「あれが何だったのか 教えてください。」


そう祈っていた。




その夜、夢の中で、、、、 実家にいた。


私は 母に指圧と耳ツボをしてあげていた。


すると隣にいた姉が曇りガラスを指して叫んだ。


「あそこに幽霊がいる!」


あわてている。私は 冷静に答えながら指圧を続けている


「あの子ね、これから天国に上がるの。だから一緒に祈って。」


曇りガラスのむこうに   背丈130-140cmの白いワンピースを着た女の子の姿があった。


しばらくすると、 同じくらいの背丈の 今度は紫色のワンピースを着た女の子の姿があった。



目が覚めて、、、ミサの時に、


「この子、連れて行って!」と左手でつかんだのは


白いワンピースの女の子だったんだ、


「あ、この子も!!」 と右手でつかんだのは


紫色のワンピースの女の子だったんだ。


そう思った。



その夢を見てから


「ミサで魂が上げられる」って本当なんじゃないかな?


祈りをささげること、って意味があるんじゃないかな?


苦しみを祈りに添えると 強い祈りになる、って本当なんじゃないかな?って思った。







なぜなら、その少し前、 私は怒って神様に祈っていたから、


「毎日毎日、、、こんなにつらくって 苦しくって、、、これが何になるんだろう?


苦しみを祈りに添えて祈ったって、ほんとは何にもなってないんじゃないの?


ただ ここで 苦しいだけなんじゃないの?


毎日 嫌な思いしてるだけなんじゃないの?


誰も 助かってなんか ないんじゃないの?


誰か、救いにあずかっているっていうなら、見せてよ!」


もう、、、心が壊れる寸前だった。



それで わがままな私に  トマス(キリストの復活の後 「釘痕に指を入れなければ信じない」といった弟子。アメリカでは「疑い深い人」の代名詞)のような私に見せてくれたんだ。



苦しみを祈りに添えると強い


憎しみや 怒りから 手を放すこと、 神様にささげるかわりに


魂が天国に入れますようにって祈ることに


ちゃんと 意味があることを、有益だということを。

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