pax1182のブログ

乳がんの記録

監督のこと

次男がリトルリーグ 3年生の頃、監督の還暦を 皆でお祝いをした。


I ちゃんと Mさんと 「赤いちゃんちゃんこ」ならぬ 「チームのカラーのワインレッドのネックウォーマー」を買いに行った。


リトルの昼食(母親が監督、コーチ分を作る!)にも和菓子を添えて、、、お祝い気分!!


「胃の調子が悪くて、全部食べられなくてごめんね」

すまなそうに残していた。


夕方、子供たちからメッセージと プレゼントを渡す 「儀式」をしよう、と「記念写真を撮るから」と子供たちをグランドに並ばせた。


「お?記念写真か? こうやってポーズ作るんだぞ?」


監督も一緒になって、、、、


「子供たちにメッセージの練習させたいんだけど、誰か 監督をどっか他に連れていってくれない?」


苦笑する、私たち。


そして、練習して、段取りを確認してから


「監督、いいよ~!」


「監督、還暦おめでとうございます!」


元気ないっぱいの どんぐりちゃんたちからの メッセージ!


驚いた顔の監督!

とっても嬉しそう。



「あ~ 肩の荷が下りたよね、 良かった、 良かった」  と安堵していた 私たち。




夕方、解散する時、かしこまった顔で監督が


「本日は 本当に ありがとうございました!」


直立不動で 背筋を伸ばして、  かしこまって、   あんな 監督見たことない。   


一瞬驚いて 固まる、私たち、、、そして


「やだぁ、監督、かしこまって、 大袈裟な   びっくりする」


と笑っていた。





翌週 監督は来られなかった、


その翌週も、、、、   入院されたのだ。


胃がん だった。


あの日 監督は 来週はもう来られないことを 決めていた。体力の限界だったのだろう。


自分の木製バットを 裏で折っているのをチームのお父さんが 見ていた。


私たちは 最後の 監督の 直立不動の挨拶を思い出した。


あれは 還暦のお祝いのお礼だけではなく、「今までありがとう」の挨拶だったんだ。


私も知っていたら、ちゃんとお礼を言いたかった。


あれが最後の日だったから、 子供たちから ひと時も離れようとしなかったんだ。


朝は6:00から グランドで投げてくれ、やる気のある子供には 打たせてくれた監督。


厳しくも 優しく、メンタルを育ててくださる監督だった。


監督が一生懸命だったから、 野球が嫌いな私が、苦手なアナウンスにも挑戦したんだ。

私も成長させていただいた。


体調が悪かったのに 早朝から投げて、打たせてくれた監督に


奥様は心配で リーグに対して あまり良い印象はないようだと 聞いた。


ご家族であれば 当たり前だと思う。


監督が来られなくなって 1カ月たち、息子さんがグランドに来られた。

監督に頼まれて、グランドの、子どもたちの様子を見てきて欲しい、と言われたので、とのことだった。


「お見舞いに、行きたいのですが、、」

「いえいえ、、大したことないので。」

丁重にお断りされた。

チームのお父さんたちは、

「監督が戻ってくるのでは?」

と浮き足だって喜んで、監督が戻られるかもしれないと、喜んでいた。



翌日 監督は天国に旅立たれた。

最後まで、リトルの子供たちに想いをよせてくださった監督。

そんな監督に育ててもらって 私達はホントに幸せだった。



葬儀の時、 子供たちは 公式ユニフォームで集まった。


入口には リトルリーグの写真、 思い出の品がたくさん並んで、、、。


棺の中の監督に お礼を言いに行ったとき、 時間が止まって、、、、涙が止まらなかった。


監督は 公式ユニフォームで 旅立たせてもらっていた。


公式ユニフォームを着せてくださった奥様に感謝した。




余命3ヶ月宣告 から    1年3か月  宣告から1年も長く生きられて、、、、


まだ若い旅立ちだった。

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